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KHJジャーナル「たびだち」93号(2020年春季号)から、茂木健一郎さん対談記事の冒頭をご紹介!


特集●あなたにとって居場所とは
幸せは「安全基地」からはじまる [対談] 茂木健一郎×池上正樹

脳科学者でありながら、作家、大学講師などさまざまな顔を持つ茂木健一郎氏。「脳科学を研究しているおかげで、どんな変人に会っても全く驚かなくなった。ちょっと変わった人が世の中をつくってきた」という。脳科学者からひきこもりを見ると、どのように映るのか、大いに語っていただきました。


居場所の多様性がなさすぎる日本

池上 茂木さんは脳科学のスペシャリストでいらっしゃるわけですが、ひきこもりという行為をどのように見ていますか?

茂木 ちょっと象徴的な話があるんです。元MIT(米マサチューセッツ工科大学)メディアラボの伊藤穣一さんに聞いた話では、多人数参加型オンラインゲームの中で将軍役を務め、全世界の数百人を引き連れていたのは8歳の少年だった、ということがあったそうです。ボストンは、ホームスクーリングといって学校に通わず自宅で勉強をしている子がすごく多い。その少年もホームスクーリングして、ゲームもしていた。僕が考えるには、そもそもひきこもりという現象がなぜ起こるかというと、こうした「居場所」の多様性がなさすぎるから。日本の学校は、同じ年齢の子だけ集めますが、社会に出たらそんな状況はあり得ない。「学校に行かないと社会性が身につかない」と言う人がいるけれど、同じ年齢の子ばかり集めてもそれは「社会」ではないから、社会性は身につかない。さまざまな年齢の人やいろいろな考え方の人がいるから「社会」といえるのに。そもそもリアルとかフェイス・トゥ・フェイスの人間関係が大事だというけれど、社会はそれだけで成り立っているわけじゃないですからね。「社会」というものを狭くとらえていることで、「居場所」も狭くしている気がすごくするんです。東京芸大で授業を受け持っていたとき、授業後に近くの上野公園で、持ち寄ったもので飲み食いしながらずっと議論というか、話をしていたことがありました。授業にモグリで来ていた人もいて、子どもから年配の方まで来る。そこで出会って結婚した人たちもいるし、そういうゆるやかなつながりがあった。あれが理想的な居場所のような気がします。ひきこもっていたって、経済的な問題を別にすれば、別にいいと思うのです。

池上 結果的に居場所になるような場が、社会の側に用意できていないということなのでしょうか?

茂木 古事記には天照大神がひきこもった話が書いてある。歌舞音曲で楽しいことをやって、天照大神がのぞいた時に鏡を見せてそっと連れ出した。ひきこもりに対するすごくいいアプローチだと思う。無理やり引き出すんじゃなくて、「北風と太陽」の太陽みたいに、「ちょっと楽しいことあるよ」「来たかったらおいで」「別に無理しなくていいよ」って言ってあげれば出る気になる。その時に鏡を見るというのは、自己認識の問題で、脳科学的にもすごく大事なことのような気がします。
僕から見ると、社会に出て働いている人でも「ひきこもっている」人はたくさんいる。人にはそれぞれ「コンフォートゾーン」(居心地のいい場所)がある。そこに居続けようとすることは、ひきこもりの人以外でもある。例えば夫婦別姓制をかたくなに反対している議員たちは、自分のコンフォートゾーンにひきこもっているといえる。

池上 横並びになることによって、安心を得ようとする、そういう価値観が根強いですね。脳科学的にはひきこもりはどういう状態なんでしょうか?

茂木 ストレスで脳が耐えられなくなった状態です。花粉症のように、ある程度のレベルを超えると、発症するようなもの。すると、「フェージング」といって「動かない選択」をするようになる。ひきこもりの人は、学校や会社、家族などで、人と会うことのストレスが限界に達して、動かない方がいいと思ってしまう。ある種の防衛本能を働かせているんです。

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