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(たびだちWeb版記事)映画「屋根の上に吹く風は」紹介


生活のなかから「生きる」を学ぶ
子どものやりたいことを一番に尊重する 新田サドベリースクール


『屋根の上に吹く風は』は、自分たちの理想の学び場を実践する新田サドベリースクールの日々を記録したドキュメンタリー映画である。長年、養子縁組や難病・障害を抱える親子をはじめ、医療から古典まで、幅広いテーマで「人」を見つめるドキュメンタリーを手がけた浅田さかえ監督の初めての劇場公開作品。
(「屋根の上に吹く風は」2021年10月 ポレポレ東中野ほか全国順次公開予定©SAKAE ASADA)


 映画『屋根の上に吹く風は』は、主体性を育む学校づくりに奮闘する大人と子どものドキュメンタリーが描かれている。撮影場所は、鳥取県の山あいにある新田サドベリースクール。サドベリースクールというのは、私たちが想像する、「学校」とは違う。授業もテストもクラスもない。生活の中から、生きることを学んでいく場だ。サポート役の大人も「先生」ではなく、「スタッフ」と呼ばれている。
 決まった時間割はなく、「今日1日、何をするのか、しないのか」を、子ども自身が決める。何もしなければ、退屈な時間は過ぎていく。ハンモックに揺られながら、退屈を口にする子どもたち。「黙って見守る」と「サポートする」の狭間で葛藤が絶えないスタッフ。
「なんでもやってみたらいいんよ」「みんなで話し合ってみたら」と、スタッフは子どもたちの背中を押す。「子どもたちには困難を乗り越える力がある」と、大人は信じている。
 そんな学校づくりを見守ってきた保護者の西村早栄子さんは、こう明かす。
 「100%子どもを信じているかと言われると自信はない。まだまだ余計なことを言ってしまう。でも、できることから子どもに委ねていくと、徐々に手放していけるんです」

 週2回、子どもたちの話し合いの場がある。子どもの意見が割れるのは、スタッフにとって大歓迎だ。意見が割れたときこそ、いろいろな学びが詰まっているからだ。スタッフは見守って、子どもたちの意見を引き出していく。どこに折り合い点を付けられるのか、それぞれの立場で考えて議論を深めていく。
 最初からサドベリースクールの運営に関わっているスタッフのようちゃんは、こう話す。
 「1回で終わることを望んではない。2回3回と引き継ぎ議案として話していくことが、一番の学びではないかと思っている」
がじゅさんは、サドベリースクールを卒業して、現在私立中学に通っている。サドベリーに通うようになったのは、土曜日クラスに参加して、自由度が高くて楽しいと感じたからだ。やりたいことは、「今、これやりたいな」と、具体的に想像していくと、より一層挑戦したい気持ちが強くなるという。
 学校説明会のとき、中学受験に興味を持った。校長先生の話が面白く、きれいな学校で、どんなところか気になったからだ。「中学受験する」と言って、小学校の同級生にかっこつけた。冷静になって考えると、合格することよりも、落ちることの方が恥ずかしい。受験勉強は頑張って、志望校に合格した。今、通っている学校は、制服がある。サドベリーより自由度がないが楽しい。
 「自分で決められることが多いと、自由度が高い。しかし自由は、決して楽ではない。今、考えると、できないことはそんなに多くないと思う。できないというよりは、自分が面白くないと感じたら、やめてしまう。本当にやりたいことなら、大人に相談して、自分で調べる。いろんな手を使えば、選択肢はあると思う」(がじゅさん)
 ようちゃんの前職は、県立高校講師。「テストは嫌い」「勉強したくない」と言う生徒に、学校のカリキュラムで決まっているから授業をする。テストをする。そのことに「何か意味があるのかな?」と、ようちゃんには心の葛藤があった。サドベリースクールに出会って、学びたいときに学ぶ。これこそ真の学びのスタイルではないかと感じた。

 従来の学校との違いは、学びの形が大きく違うところだ。学校のルール作りから全体の運営まで、すべて子どもたちが関わっている。スタッフを選ぶ選挙では、子どもが投票権を持っている。子どもたちの信頼が得られないと、スタッフにはなれない。「1人1票で良いのか?」「そもそも選挙は必要なのか?」と、子どもたちと話し合いを重ねた。失敗する自由もある。学びの完成形はなく、より良い形を模索している。

鳥かごの中の自由は、果たして自由と呼べるのか

 この映画は、私も自分自身を見つめ直すきっかけになった。学生時代、「自由は何だろう?」と問いかけたことがある。「自由は何だろう?」と問いかける時点で、今の環境は不自由だと思う。私の通っていた中学校は、管理教育で厳しかった。朝は、小テストがある。毎日の家庭学習と科目別の宿題。そして部活動の参加を強制させられた。先生に反発すると、生徒は小会議室に呼び出される。「教育」と称して、先生の価値観を生徒に植えつけられる。先生に反発する生徒は、問題行動を起こすか、不登校を選択した。
 私は、幼少期から同調圧力の強い環境で育ったため、相手が何を望んでいるのか、強く意識するようになった。同調圧力が働いているのに、「選択の自由がある」と学校の先生に言われても、自由の実感はなかった。鳥かごの中の自由は、果たして自由と呼べるのだろうか。心で感じる自由はあったが、表現の自由はなかった。インタビューのとき、「パッと思い付いたことをやる」という、がじゅさんの言葉が心に残った。自分の気持ちを封じ込めず、思っていることを率直に言えるところに自由を感じた。

ライター:瀧本裕喜(タッキー)